自分だけが「自分」じゃない

子どもの頃、あるときふと、気づいてしまつた。
それまでは、自分という存在が世界の輪の中心にあるような感覚があった。子どもにはありがちなことであるが、まるで、太陽系のように、すべての中心に太陽たる自分がいて、その周りに惑星のように近いところに家族がいて、さらに銀河系の星のように友達とか先生と知らない人達とか、世界の人達が広く散らばっている世界に、自分は生きているんだという感覚である。しかしあるとき、ふと、自分以外の全員も、同じように太陽のような存在として中心にいて、そのまわりにその人に関わる人達がいて、さらには自分と同じようにいろいろなことを感じ、悩み、生きているんだということに、改めて気づいてしまったのである。それは、私にとってはすごい発見であった。
そんなの、当たり前じゃないの、と言われると、そのとおりだが、理屈ではなくて、感覚的に理解したことが重大なのである。その時の驚きの感覚は今でも忘れることができないくらい強烈だったが、兎にも角にも、この瞬間から、私は変わった。
つまり、私には私の人生がある、同じように他者には他者の人生がある、たとえどんなに近しい人であつても、それが真理であり、相容れないのが当たり前であることを悟ったの
で、自分の周りでおこるあらゆる出来事を、客観的な目で見る習慣がついてしまったのだ。
具体的には、私は私、あなたはあなた、合うこともあれば合わないこともあるし、それが当たり前だという感覚が身についた。良い言い方をすると、物事を冷静に見ることができるようになったし、悪い言い方をすると、冷めた見方をするようになったのである。さらに、他者(ここでは自分以外の全ての人のことを他者と言うことにする)は自分とは別の人だから、いくら気が合う人でも全く同じ感覚、考えかたをするわけない、そういうものなんだと冷静に感じてしまい、ある意味では、こうあるべきだという呪縛から逃れ、人間関係で悩むことがなくなったのである。
なぜ、こんな話をするかというと、自分と他者とが別人格であることが、理屈ではわかっていても感情面で落とし込めていないことが原因と思われることで悩む人が、あまりにも多いことが気になるからである。

自分はこのくらいの付き合いかたがちょうどいい、でも相手は違うかもしれない、とは思いもしないから、LINEを読んだらすぐに返事するのが常識ではないかとか思ってしまう。または、自分は記念日にはプレゼントもらいたいから、相手も誕生日にはプレゼントもらったら嬉しいはずだ、と思い込み、そのとおりに事がはこばないと、イライラしたり非難したくなつてしまう。そんなケースが多いと思う。
自分と100パーセント同じ考えかたのひとはこの世にいない、それが真理なんだと理解できるだけで、この手の悩みからは解放されるはずなんだけど。
人から言われて、はい、わかりましたとはならないところが、人の心の複雑さであり、面白さでもある、と思うが。
でもね〜、である。




0コメント

  • 1000 / 1000

ソフィア〜心と向き合うカウンセリングルーム〜

職場の人間関係、友達同士での人間関係、ご近所づきあいでの人間関係のお悩み、一緒に解決しましょう。JADP認定のメンタル心理カウンセラーがお答えいたします。相談は無料です。 sophiakokoro@aol.jpまで